学ぶ

江戸時代の焼きいも屋さんの売上はどれくらいか?

こんにちは、代表理事の橋本です。
今回は江戸時代の焼きいも屋さんの売上について検証したいと思います。

焼いもは、1793年に本郷四丁目の木戸番が初の焼きいもを木戸番屋で売り出すと、冬のおやつとして急速に人気を集め、江戸の街中に焼いもの看板がみられるようになったと言われています。
そんな江戸時代の焼いも屋さんですが、どれぐらいの売上があったのでしょうか?

今回は前回の記事でも引用しました、江戸の儒者寺門静軒が著した、江戸末期の江戸市中の繁栄ぶりを狂体漢文で叙した風俗書『江戸繁昌記』(1832-36)の煨薯(ヤキイモ)の項目からひも解いていきたいと思います。

然るに、今各店招牌、書して八里半と曰う。按に栗の字、九里と訓ず。乃(すなわ)ち、その味、栗と相似て、然も較々(やや)少しく下るを以っての故に、これを名づくるのみ。

今は「栗(九里)より(四里)美味い十三里」という洒落が有名で「さつまいも=十三里」となっていますが、当時は控えめに栗に少し劣るということで八里半という名前をつけていました。

今の八百八街、各閭の番所、皆、これを煨(や)いて、これを売る。必ず招牌を掲げて、この三字を書す。

江戸の町々には木戸が設けられており、その横に設けた木戸番屋で焼いもが売られるようになりました。 木戸番の賃金は少なかったので、焼いも売りや金魚売りなど物販を副業としてやっていたようです。
木戸番屋は交番のようなミニ消防署のような役割もあり、火の扱いに長けているだろうと、焼きいもは木戸番専売のようになっていたそうです。

且つ、或は言う、毒有りと。故以って、世、食わざる者多し。時変の然る所、今は則ち、海内(全国)に満布(普及)し、これを食う。貴賤を論ぜず。値もまた甚だ賤(やす)し。

また、当初は毒があるんじゃないかと食べる人が少なかったようですが、全国に普及し始めてから、その値段の安さも相まって貴賤関係なく食べられるようになったと書いてあります。

冬季1シーズンの売上については下記のように書かれています。

薯戸、冬間の鬻(ひさ)ぐる所、少なきもの、二、三十金に下らず。多きは二百金に至ると云う。乃ち、今試みにその中を酌(く)み、一戸五十金を額と為し、八百街中、一街一店の数を以って、これを計るも、なお一歳の分積みて五千金と為る。細かにこれを算(かぞ)えば、必ず万金に下らず。

多いところで200両、少ないところで20~30両(平均50両)。江戸全体で5000両~10,000両ということでしょうか。

では、江戸時代の「1両」の価値ってどれぐらいだったのかを調べてみると、下記のサイトのように「1両=13万円」として計算していることが多かったので、今回も 「1両=13万円」として計算したいと思います。

江戸時代と現在では、生活のしかたも、人々の使っていた品物の種類も、物価状況も違うので、お金の価値を単純に比べることはできません。
あくまで参考となる例として、日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料では「当時と今の米の値段を比較すると、1両=約4万円、大工の手間賃では1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12~13万円」という試算を紹介しています。

そこでここでは、「1両=13万円」として、当時の物価を見てみましょう。
江戸時代の換算相場は「金1両=銀60匁(もんめ)=銭(銅)4000文」ですので、銀1匁=2166円、1文=32.5円ということになります。

(中略)

大工さんの日当は銀5匁4分。今のお金にすると1万2000円弱。正月、節句などの休日や、天候の理由で仕事を休む日を除くと、年間の労働日数は294日で、年収は銀1貫587匁6分。343万円ぐらいです。

https://manabow.com/zatsugaku/column15/

1両=13万円とすると、1店舗1シーズンの平均売上650万円(最低260~最高2,600万円!)。江戸全体の焼きいも市場規模は6億5000万円~13億円。

サツマイモの仕入など経費を差し引いたとしても、けっこう良い収入になっていたんじゃないでしょうか?
また、現在の焼いも屋さんの売上と考えてもおかしくないような数字なので、焼きいも屋さんは江戸時代から続く良い商売といえるのではないでしょうか。

※本文中の江戸繁昌記の訳文はこちらから引用させていただきました。
https://blog.goo.ne.jp/kinosan1/e/0d04bac93388d22c78e5ae6504b7f959

関連記事